池袋派遣村で宣伝に立つ吉良さん(中央)
リーマン・ショック後から始まった派遣村の取り組み。その一つ「池袋派遣村」は2009年以来続けられ、この5月で11回目を迎えます。路上生活者に健康チェックや労働、法律、生活の相談を無料で行なうというもの。豊島区在住の吉良よし子さん(参院東京選挙区予定候補)も、1回目から毎回参加してきました。
1回目は、ちょうど政治家として生きることを決意した頃です。「一番困っている人たちの所にいたい」と、吉良さんは、派遣村に参加し続けています。
吉良さんを見てきた池袋派遣村の事務局長、大山勇一弁護士は言います。「吉良さんは1回目から、生活保護の申請にまで一緒に行くなど本当に親身です。池袋派遣村の取り組みは吉良さんの・政治を変えたい・という思いのみなもとになっているようです」
10回の池袋派遣村
昨年11月に行われた10回目。宣伝行動で、路上生活者の45歳の男性と出会いました。リストラされて収入がなくなり、そのまま離婚。自分は家を出たが、仕事が見つからない。お金を借りるため、横浜の実家まで歩いて行ったこともある。所持金は2千円。なのに「私なんか死んでもいい」と言い、そのまま路上に消えていった―。
「誰にも生活保護を受ける権利があるのに、相談することすらためらう人が増えている。生活保護者へのバッシングも相まって、事態は一層深刻になっていることを本当に実感します」
これまでの悪政が生み出した象徴的な貧困と生活苦の実態。「自己責任」にするのではなく、憲法25条で保障された生存権を、国こそが責任もって保障するべき。吉良さんは演説のたびに、この男性の話を紹介しながら訴えています。
「憲法」「平和」が原点
2006年に原水禁世界大会に参加した吉良さん(右)
吉良さんが日本共産党に入党したのは、大学在学中。「平和」を貫く日本共産党への支持を表明する思いでした。「平和」への思いは、幼い頃にさかのぼります。
小さなころ、自宅には戦争に関する絵本や物語がたくさん置いてありました。小学校教員の母・純子さん(57)が、早い時期からふさわしい平和教育をしたいと自宅に備えたのです。
「おとなしくて静かな子」だったという吉良さんはいつも一人で本を読んでいて、その絵本で、原爆や東京大空襲の悲惨さを知り、強い衝撃を受けました。神社へお参りに行ったときなど、「どうか戦争になりませんように。世界が平和でありますように」と真剣に手を合わせていたと言います。そんな吉良さんは、純子さんから憲法9条で戦争放棄をうたっていること、日本共産党員が戦争中も戦争に反対していたことを聞き、憲法と日本共産党が大好きになりました。
社会人2年目、吉良さんは原水爆禁止世界大会に参加しました。幼いころのトラウマで、足を踏み入れられなかった広島。そうして何もしないでいる間にアメリカのテロ事件、憲法改悪など「不穏な動き」がひろがっている―。でも、社会人として一人前に働き始めた今ならヒロシマに行けるかもしれない。行って事実に向き合ってこよう、と吉良さんは思ったのです。
暑い8月、汗が滝のように流れる6日、原爆が投下され、逃げまどった人たちを思うと胸が詰まりました。同時に「二度と悲劇は起こさない」と世界中で平和のために多くの人たちが行動していることを知りました。
だから、平和と憲法を守るためにがんばろう、と改めて決意したと言います。
いま、自民党や維新の会など改憲派が国会で多数派を占めようとしています。吉良さんは「憲法変えて国民から自由も権利も奪い、戦争できる国をつくるなんて許さない。必ず憲法を守り抜き、憲法に保障されているすべての権利の実現へ全力をあげます」と強く訴えています。
(東京民報2013年4月21日号に掲載)
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