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特別インタビュー 茨城県東海村・村上達也村長 

原発持つ資格ない 東海第2「廃炉」政府に求め続ける

村上達也村長

 福島原発事故から1年が過ぎても、政府は原発からの撤退どころか事故原因の検証さえできず、その一方で原発を再稼働させようとしています。そんな中、原発立地市町村の首長として唯一人、東海第2原発の「廃炉」と「脱原発」を国に提言し、勇気ある訴えを続けている茨城県東海村の村上達也村長。日本の原発発祥の地で首長がなぜ「廃炉」を求めるのか、同村役場の村長室で聞きました。(聞き手・松浦賢三 写真・田沼洋一)

 ―福島原発事故を体験し、首都圏の東海村に原発がある、ということに改めて気付かされました。都民にとっては「わが事」です。
 うれしいですね。福島原発事故を通して、原発の実態を知っていただいて大変心強く思います。東京都民に、茨城県の原発を身近な問題として受け止めていただいたことは、私にとって・大発見・なんですよ。

間一髪だった

 ―この4月、枝野経産相に会って東海第2原発の「廃炉」を申し入れました。精力的ですね。

茨城県東海村

 昨年の10月にも、細野原発担当相らに会ってお願いしました。原発の発祥の地、東海村がなぜ「廃炉」を主張するのか―。一言で言えば、この国は原発を持つ資格がない、という判断を持つに至ったということです。政府は福島原発事故の対応や、それ以降の原発政策の確立、地震列島に54基もの原発がある現実に対して、何ら対処しませんでした。
 もう一つは東海第2原発で、福島第2原発と同じような事故が起きても不思議ではなかったということです。5・4・の津波被害を受け、非常用電源3台のうち1台がダウンしました。かろうじて持ちましたが、津波の高さがあと70・高ければ全電源を喪失したでしょう。
 防潮壁は、1年半ほど前につくったばかりでした。その防潮壁に窓枠のような切り込みがあって、原発事故が起きる2日前の3月9日に埋めたばかりです。もし埋めていなかったら、間違いなく海水が入ってきて全電源が喪失し、全村避難ですよ。まさに間一髪、あとで聞いてぞっとしました。

 ―本当に紙一重だったのですね。
 この周辺には福島と比較にならないくらい多くの人が住んでいます。福島の場合、30・圏内に15万人ですが、茨城は約100万人ですからね。東海村に原発があることの異常さに、私自身が気付いたということです。
 もう一つは咋年の6月、当時の海江田経産相が玄海原発の安全性が確認できたとして「安全宣言」をしたことです。福島原発事故がどうなっているのか、原因は何か、何一つ分かっていない時期にです。この国はだめだと思いましたね。

村長だから言う

 ―信じられませんよね。
 原発の成り立ちから見ても、産学官が一体となった「原子力村」という、閉鎖的で排他的な世界が作られてきました。この体質が、福島原発事故から1年以上たつのに何一つ変わらない。それどころか、原発再稼働へと、元に戻ろうとしていますね。
 原発を推進してきた既存の勢力が実権を握っていますから、変えようとしないわけですね。批判があれば応えるかのようなポーズはとりますが、国民の不安や批判などは月日がたてば、冷めるだろうと考えているのでしょう。今がせめぎ合いの時だと思います。

「福島」に思い寄せて

 ―村長として「廃炉」を主張することは、勇気がいることでは。
 そんな大げさなものではないです。やっぱり、駄目なものは駄目ですからね。論理的に合わないものはやるべきではない。屁理屈をつけて正当化するのは無駄なことです。
 たとえば、太平洋戦争では300万人以上の国民が犠牲になり、国土を焼き尽くしました。A級戦犯たちは東京裁判で、個人的には戦争に反対だった、立場上言えなかったなどと言いました。こんなことは、あってはいけないですよ。私は村長だからこそ、言わなければならないと思っているのです。

 ―日本のエネルギー政策はどうすべきだと思いますか。
 日本は原発を「基幹電源」としてきましたが、その一方で自然エネルギーの発展を圧迫し、封殺してきました。私たち東海村で起きたJCOの臨界事故(1999年、2人死亡)以来、太陽光や風力などによるエネルギー政策を進めようとしましたが、参入障壁というバリアーがあって制度的に入り込めませんでした。
 先進諸国の中で、日本は自然エネルギーの利用率が遅れ、わずか1%。あきれた国です。自然エネルギー政策への転換は、姿勢を変えればいいことですから、できるのです。「廃炉」「脱原発」という私の信念は揺るぎません。ドイツは、福島原発事故が起きてから、一夜にして原発7基の停止を決めました。2022年までには、全廃することを決断したのですからね。

 ―村長の「廃炉」発言は、多くの人たちを励ましています。
 あの福島原発事故を見たら、原発から他のエネルギーに変えられない、ということはありえないと思います。たくさんの人たちが放射能におびえ、原発事故は収束していないと思っています。国民は決して黙っていませんよ。私も代表世話人の一人になって、「脱原発をめざす全国首長会議」を立ち上げます。今大きく動いてきていると思いますね。

 ―東京都民に何を期待しますか。
 今回の震災で、東京のお母さんや若い女性たちが、原発の存在を意識してもらったところに大きな意味があると思っています。それから石原さんに代わる人に、知事になってもらうことですね。そうしなければ、東京は変わらないと思います。尖閣列島を都が買うとか、中国の人を「支那人」などと、メチャクチャなことを言っています。
 福島原発事故から、日本人は価値観の転換を求められました。これまでの社会は、経済発展や経済効率に価値を置いてきたけれど、命や人とのつながり、故郷などという大事なものがあることに気付きました。東京で言えば、わざわざエネルギーを消費する超高層ビルを造ったり、地下を何層にも掘って交通網を張り巡らすなど、人間の手に負えないくらい巨大な都市を作り上げてきました。そのエネルギー多消費型のシステムに振り回されていることに、気付いてもらいたいですね。そのためにも、福島の人たちの思いを知ってもらって、福島を「わが事」として考えてもらいたいと思います。


 

(東京民報2012年4月29日・5月6日合併号に掲載)